旅の紹介&プロフィール



Author:遙♪(はるか)

"強くなりたい"と思い、
2008年8月~
旅をスタート!
50ccなので、
高速道路はNG(°°;))
下道とフェリーだけで
のんびり進めます♪

遠く離れてしまった
友達や親、昔の恩師…
★★大切な誰かへ★★
伝えたいメッセージの詰まった
"手紙や贈り物"をお預かりして、
日本各地に届けながら
旅を進めています(*^^*)

2008年12月に
看病をするため
一時旅の中断を決心。
2009年4月に再開し、
貯金が尽きてからは
手作りのミサンガを
路上販売しながら決行!

現在旅のまっ最中です!



◆連載
月刊オートバイ
(毎月1日発売)


エトセトラ

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改めて、被災地報告

先日アップしきれなかった、石巻・気仙沼・南三陸町・飯舘村周辺の写真を紹介します。

2011年6月19日、震災後3ヶ月以上がたちました。
私にとっては見慣れてしまいつつある津波に飲み込まれた町の風景も、
初めて目にする人には愕然とし言葉を失う情景なんだな、と案内をしていて感じました。
誰もが、自分の目でみると思考が止まらなくなる。
私も、かつてそうでした。

ニュースやTVでよく取り上げられている、南三陸町の「防災対策庁舎」。
津波に流される最期のその時まで、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けたという
25歳の女性がいらした場所です。
同じ女性として、同じ時代を育ってきた者として、その行動に敬意の念でいっぱいです。
報道等で有名なせいか、ここの前にだけ献花台が設置され花で埋め尽くされていました。

この「防災対策庁舎」の敷地内にここに立っていたのであろう、なぎ倒された看板を見つけました。
「チリ地震津波水位 2.4メートル。地震があったら津波に用心 避難場所は…」
唖然としました。人は忘れる生き物なんだと、愚かさを投げつけられたようでした。
昭和35年5月24日、遙か遠くの国チリの地震で起こった津波はこの町を襲いました。
それから50年あまり、この看板をつくった人はどんな気持でこれを作ったんだろうか…。

震災後3ヶ月。
震災ブームは終わり、人は生活に戻り安定を取り戻しはじめています。
そして、悲惨だったね、可哀相だったね、と語り継ぐだけの一過性のもので終わってしまった様に感じています。
経験し、じゃあこれから何をしていけばいいのか?
私の目は、今そういったことに向いています。

”Re Us
 再び私たちに…”
津波を受けた気仙沼の塀に、そう書かれた文字を見つけました。

地震と津波でぐちゃぐちゃになった荒れた土地にも、
雑草が芽吹き始めています。
次に進む時がやってきたんじゃないかな?

ここは石巻で元々セブンイレブンがあった場所です。
10代の2人の若い女性と店長が、いまだ行方不明です。
「他人のぶんまで生きる」、
生かされた私たちがやるべき事はたくさんあり過ぎて、
嫌になってしまいそうになる日も正直あります。
だけど、目をそらさない。諦めずに食い下がる。
強さがほしいです。

私が、今回見つけた一番の”課題”はこれです。
やっぱり今もまだ、原発30キロ圏内の被災地には取り残された命がいます。
人は、なぜ命を敬わないのかな?

計画避難が終わった地域には、今までなかったこんな新たな看板が立ち始めました。
驚きです。

世界一周の夢が少し押し押しになってしまっているけれど
来週くらいから生活を立て直しながら、また動いていこうと思っています。
ボランティアもまだ終われないので、続けていくつもりです。
さあて、がんばりましょうかね。

コメント&トラックバック

マザーテレサは言ってます。

「貧しい人たちは私たちが彼らに与えるよりはるかに多くを私たちに与えてくれます」

ペット達は感謝の言葉以上のものを与えてくれますよ。

2011 年 6 月 26 日2:26 PM posted by 5VY YZF-R1

オイラも土日は、南三陸町か気仙沼に行ってます。

お互いに、身体に気をつけて頑張りましょう(^O^)v

2011 年 6 月 27 日12:44 AM posted by 異邦人





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