旅の紹介&プロフィール



Author:遙♪(はるか)

"強くなりたい"と思い、
2008年8月~
旅をスタート!
50ccなので、
高速道路はNG(°°;))
下道とフェリーだけで
のんびり進めます♪

遠く離れてしまった
友達や親、昔の恩師…
★★大切な誰かへ★★
伝えたいメッセージの詰まった
"手紙や贈り物"をお預かりして、
日本各地に届けながら
旅を進めています(*^^*)

2008年12月に
看病をするため
一時旅の中断を決心。
2009年4月に再開し、
貯金が尽きてからは
手作りのミサンガを
路上販売しながら決行!

現在旅のまっ最中です!



◆連載
月刊オートバイ
(毎月1日発売)


エトセトラ

今日もポチっとひと押しして頂けると
ありがたいデス~☆



携帯からはこちら↑








メールを送る

メール

[contact-form-7 404 "Not Found"]

ホッ

昨晩、原発20キロ圏内に福島県の指示でペット保護の手が入るとの連絡が入りました。

20キロ圏内が完全封鎖になったあの日以来、
私はずっと失望感でいっぱいでピリピリしてて頭から角が生えてきそうでしたが、
一気に全身のチカラが抜け、
やっと、やっとこ、、少しホッとしました。
初めての行政介入。
私が犬猫を追いかけて、もう1ヶ月位かな?
npoなど民間だけで保護とそれにまつわる業務を維持し続けるのは、
一ボランティアの私の目から見てもとても大変なことでした。

3日ほど前から小さな抵抗とわかりつつ、
大熊町や浪江町の臨時役場に許可証の発行やエサ撒きの話を
責任者の方に話に行ったり 何度も何度も経過を聞きに電話したりしてました、私。笑
ほんっと小さな抵抗でしたが、
でも取り残されたペットの飼い主さん達からも要望がたくさんあがったと聞いています。
何もやらないよりはやって良かったのかもしれません。
民意ってなんだろう?
世論ってなんだろう?
諦めないってなんだろう?
って自分なりにたくさん考える出来事でした。

政府が動かない状況下での今回の「福島県」の判断は、かなり異例のものだと拝察します。
環境省が動きだしそう…なーんて話も小耳に挟んでいるし、
1匹でも動物が餓死する前に政府にも早いとこ乗り出して欲しいものです。

まだまだ安心できるわけではないので ちょっと一息ついてから、
明日も頑張ります!

※事実情報が錯綜していたのでしばらく非公開にしていましたが、確認がとれたので再度アップしました

やっぱりこんな事に…

落胆しててブログを書く気になれない今日この頃。

先週月曜日ボランティアを終え東京に一時帰りましたが、‘原発20キロ圏内を封鎖’との情報を聞き水曜日の深夜急遽福島に向けて再び向かいました。

ゲートが閉まるまでに、
1匹でも多くの犬猫達を早く20キロ圏外に出さねば、餓死して死んでしまうしかなくなるからです。
逃げてどうしても捕まえられない犬猫には、餌をたらふく置いてきました。

そして木曜日の深夜0時、20キロ圏のゲートは閉じ、中に居る動物達は見殺しにされました。

今まで人のために生まれ生きてきた「愛玩動物」が国から何の対策もないまま死んでいくなんて、人はあまりに勝手です。むご過ぎる。

強い怒りと憤りを感じています。

「動物なんだから仕方ない…」
多くの人はそう言って、私を説得しようとしたりもっと違う事をやるべきだと叱りつける人までいたけれど、それは自分の目で現場を見てないから。だって、命ですよ。
それとも感性の違いなのかな?
人命優先、それは私もそう思っているけれど、震災から1ヶ月がたち人は少しだけでも落ち着き動物は今日明日の命をつきつけられている。(原発近くの動物は餓死の危険が高い)
人に向けてのボランティアも変わらず平行してやってはいるけれど、今の状況で私の信念は何を言われようが変わりません。

昨晩もとても寒い夜でした。
寒空の下、犬猫たちは大丈夫だったかな?お腹空かせていないかな?

あの日見た、誰も帰ってこない家から今も離れず、未だに家を守り続けている白い柴犬の姿が目に浮かびます

無事帰還、元気です

無事、東京に一時帰宅しました。
今回の活動は9日間。
また色々とやることがあるので、今週中にもまた行けるといいなと思っています。ブログできちんと報告出来なかったので、また居る間にアップ出来ればと思っています。
なんだか最近は、東京にいるより福島にいる日の方が多くなってきたなぁ。

色んな方にご心配おかけしていますが、私はすこぶる元気です。

津波にさらわれた風景しかり、
風評被害しかり、
人々や動物の苦しみしかり、
20キロ圏内のおかしな状況しかり、
予想以上の散々たる「現実」を実際自分の目でみると心がビックリしてしまって自分がぶっ壊れそうな気持ちや哀しみに押しつぶされそうにもなるけれど、
出発前にバイク屋さんから言われた
「君が弱気になっちゃダメだ。このバイクで、苦しんでる人に笑顔を届けるのが役割なんだから」の言葉が私を支えています。

被災された方はもっともっと苦しみをかかえていて、県外からやってきた私が動揺したりガッツを失っちゃ行く意味がない。
ボランティアを単なる学びの場にしちゃいけないと思うんだ。

心底そう思っているので、無理なくまったくもって大丈夫です。

ただブログではなるべくフラットに書くよう心がけているけど、私は今回の震災にたくさん怒りを持っています。
‘この国は一体どうなってるんだ!?’って政府や日本人に思う事が多すぎる。

‘人は温かく素晴らしい生き物だ、捨てたもんじゃない’と感じた日本一周だったけれど、それとはまた違う日本を今感じている。

どちらも‘本当’なんだろうけど。

人は愚かなんだな…って感じてしまうことが、一番辛いよね。

豊間中学校にて、制服募集

 

今回の活動目標の一つに、
東京の洋品店から”制服10着程の寄付ができますよ”との有難い申し入れがあったので
持って行ける学校をアテンドする目標がありました。
津波で、制服やノート教科書を流された子供達もたくさん居ると思います。
前回の活動で、私は津波に流されたランドセルを目にし 
”この進級の4月。津波に全てを流された者もそうでない者も、皆が同じスタートラインに立ち
なるべくなら劣等感をもたなくても済む物資が必要なんじゃないか”と考えていた私には
グッドタイミングでした。
それに、東北は特に少子高齢化が進んでいます。
全校生徒30人のような学校も多く、制服10着程度でも不公平なく配ることが出来る学校があるのではないか…と考えました。

”行政に持込んで配布してもらえばいいんじゃない?”
”学校に電話して確認すればいいんじゃない?”
と思う方も多いかもしれませんが、
行政は まず少量の物資に関しては取り合えない状況だし
持込めたとしても救援物資の集まる倉庫に積まれるだけで配布まで手がまわっていない現状です。
学校側は 現在避難所と学校業務を平行して行っている所が多く、
・生徒の状況確認
・届く救援物資の仕分け
・学校体育館内などに避難されてる方の炊き出しや情報提供業務
・各電話問い合わせ対応
・ボランティアさんへの作業説明
に追われていて、職員の方は来る人来る人に毎回同じ説明を繰り返していて
私が電話するのは申し訳ない…って程ごった返しています。

各地で”ボランティアの受け入れ態勢が整っていない”とか
”ボランティアは1週間以上滞在できる人”とよく言われるのは、
こういった事が理由で 行政や大きな機関であればある程ごった返しています。
だけど、小さな団体や避難所ではそれ程大きな混乱はなく ボランティアさんや少量物資にも対応できる状況。
動ける人は、個人→行政→被災地 と連絡体制をとるのではなく、
個人→被災地 の型で問題なくやりとりできるのが一番だと思います。
話が脱線しましたが、
制服もまた個人で探そうと努力をして まずは被災地でまだ余裕のある個人の方に連絡をいれて制服が欲しい人を探しましたが見つかりませんでした。
だけど、どう考えても制服が被災地で足りてるとは思えません。
現地に行けば、出会いや口コミなどで 制服を必要としてる人が見つかるかな…
と思っていたら、
いわき市内でも特に被害が大きかったといわれる豊間地区で行き当たりばったり 
制服募集をしている張り紙と出会いました。
募集をしている学校は 「豊間中学校」。
全校生徒112名の学校で、学校自体も津波に飲み込まれ甚大な被害を受けました。
現在、「豊間中学校」の機能は 「藤間中学校」に移転され、そちらで授業なども行われています。


↑津波の被害をうけた、豊間中学校の写真

臨時教室のおかれている藤間中学校にお邪魔して、
詳細を確認したところ 全校生徒のうち約半数が津波で家を流され 制服やジャージがないそうです。
何が何着足りないかは、強い余震の為 まだ把握できていませんが
30着以上が足りない見込みになるのではないか…と先生はおっしゃっていました。

私の方としても、何を募集をかければいいかまだ分かりませんが
制服の型を写真に撮りましたので アップしておきます。
何かご協力いただける方がいらっしゃいましたら、私のブログに連絡下さい。
学校は混乱しておりますので、私のほうで受けさせていただきます。

↓張り紙が張ってあった、地元の商店さん

「がんばっぺ」
福島弁が心に響きます

飯館村の現状

この世は全く不条理だ
弱い者が泣き寝入りして、不確かな情報に困惑しながら動かされている。
心が落ち着かないうちに、誰が冷静な判断など出来るもんか

おととい、
NPOの活動のため 計画的避難地域に指定されている飯館村近くを走行している時、
コンビニ前で飯館村在住のお兄さんに話しかけられました。
「どこ行くの?」
「ボランティアで福島にきました。今から原発近くの犬猫保護で、大熊町に行くところなんです。」
「犬猫の保護してるの!?うちにも2匹いて、避難する先も決まっていないのに困ってんだあ」

そんな話から始まって、飯館の現状・そして犬猫対策の現状を聞きました。

その方Aさんは、震災当初、栃木県・鹿沼に一時避難されていたそうです。
飯館村の人口約6000人中、3000人が一時避難、その内2000人が現在村に戻ってきています。
鹿沼の避難所では
東京大学の放射能を研究する大先生を招いてのトークショーが行われたそうですが
その時
”放射能は大丈夫だ”
と説明を受けたそうです。
それが村に戻ったら水は飲むな、1ヶ月以内に村を出て避難しろ、との命令をうけ、
「一体全体どっちなんだ!?我が家は井戸水つかってるし、飲んじゃったよ、オレ」
と、見えない真実に困惑されていました。
危ないと言われたり、大丈夫だと言われたり…精神的に不安をあおられ、パニックしていました。

「おまけに仕事がなくて、収入がないんだ。
 ハローワークに通っているけど、見つからないし…
 電気代もガス代も払わなきゃいけないのに、どうしたらいいもんか。
 働きだしたとしても、この先どこに避難になるか分からないし…
 避難所なのか、仮設住宅なのか、それとも県外になるのか…」
金銭面も、明日の見えない不安をさらに大きくさせています。
そんな中で、
「うちにも犬を2匹飼ってるんだども、ゴールデンレトリバーの1匹を預ける先がなくてね。
 NPOの団体が、動物保護で動いているなんて今日初めて知ったよ。
 村には知らない人もたくさんいるから、村役場に連絡してもっと広報して欲しい」
と頼まれました。

その後、私は携帯電話が圏外になり通じない原発20キロ圏内に入ったので
地元で動いているS君にその旨をお願いして、出発しました。
S君の報告では、
受け入れ先をピックアップして 役場に教えたそうですが
「それもやらなくちゃいけませんねー」
程度の反応で、広報に動いてくださる雰囲気はなかったそうです。

このままいくと
まさか、飯館村でも放置される犬猫が出るんでしょうか?
原発30キロ圏内で、
鎖を放たれ首輪をつけた犬猫たちが、人の誰もいない町を徘徊する姿が目に浮かびました。
それだけは、なんとしてでも避けたい。
S君とともに対策をうち、出来る限りの動きをとりたいと思います。

↑原発15キロ地点でであった、人のいない町を放浪するペットだった犬。15日撮影