旅の紹介&プロフィール



Author:遙♪(はるか)

"強くなりたい"と思い、
2008年8月~
旅をスタート!
50ccなので、
高速道路はNG(°°;))
下道とフェリーだけで
のんびり進めます♪

遠く離れてしまった
友達や親、昔の恩師…
★★大切な誰かへ★★
伝えたいメッセージの詰まった
"手紙や贈り物"をお預かりして、
日本各地に届けながら
旅を進めています(*^^*)

2008年12月に
看病をするため
一時旅の中断を決心。
2009年4月に再開し、
貯金が尽きてからは
手作りのミサンガを
路上販売しながら決行!

現在旅のまっ最中です!



◆連載
月刊オートバイ
(毎月1日発売)


エトセトラ

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わお、東京

3日ほど前から風邪をひいちゃいました。
鼻水出過ぎで頭がガンガン痛く、
喉はうがいをするとうがい薬がしみて七転八倒する位腫れてました。
でも大したことありません、日常生活ならば。

福島原発近くの子犬がやはり気になって保護活動をしたかったのですが、なかなか治らずこの体調じゃまわりに心配されるばかり…。

仕方ない!一度東京に帰るか!
と寝床を与えてもらっていた懇意にしている那須の保護活動家さんのお宅を出発したのが、昨晩22時。

雨ざらしで濡れたままのバイクウェアを羽織ると、背筋がゾクッ。
雨は降ってるし、風邪で鼻水はズルズルあちこち痛いし、ウェアは濡れたままだし、トラックばんばんの国道沿いだし、まれにみるバッドコンディション。
風が吹いてないだけマシかぁ…
途中からはもうどうにでもなってしまえ〜と風邪をひきこなす勢いで雨の中ひたすら走りました。

家についたのは、早朝3時30分。
だけど、不思議に
たっぷり寝て起きたら風邪がケロッと良くなりだしています。
私の体はなんて気まぐれなのかしら?
新たな次の見つけた目標へ早く進めと指標を示しているのかな。

最近の私は、
泣いたり
笑ったり
喜んだり
困ったり
悲しんだり、

何もかも持ってるものはないけれど
退屈な日々を抜け出し
咲いてる日々を過ごしています。

過ぎてく時が勿体なくて愛おしい。
どんな所へもどこまでも行けそうな気さえします。

改めて、被災地報告

先日アップしきれなかった、石巻・気仙沼・南三陸町・飯舘村周辺の写真を紹介します。

2011年6月19日、震災後3ヶ月以上がたちました。
私にとっては見慣れてしまいつつある津波に飲み込まれた町の風景も、
初めて目にする人には愕然とし言葉を失う情景なんだな、と案内をしていて感じました。
誰もが、自分の目でみると思考が止まらなくなる。
私も、かつてそうでした。

ニュースやTVでよく取り上げられている、南三陸町の「防災対策庁舎」。
津波に流される最期のその時まで、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けたという
25歳の女性がいらした場所です。
同じ女性として、同じ時代を育ってきた者として、その行動に敬意の念でいっぱいです。
報道等で有名なせいか、ここの前にだけ献花台が設置され花で埋め尽くされていました。

この「防災対策庁舎」の敷地内にここに立っていたのであろう、なぎ倒された看板を見つけました。
「チリ地震津波水位 2.4メートル。地震があったら津波に用心 避難場所は…」
唖然としました。人は忘れる生き物なんだと、愚かさを投げつけられたようでした。
昭和35年5月24日、遙か遠くの国チリの地震で起こった津波はこの町を襲いました。
それから50年あまり、この看板をつくった人はどんな気持でこれを作ったんだろうか…。

震災後3ヶ月。
震災ブームは終わり、人は生活に戻り安定を取り戻しはじめています。
そして、悲惨だったね、可哀相だったね、と語り継ぐだけの一過性のもので終わってしまった様に感じています。
経験し、じゃあこれから何をしていけばいいのか?
私の目は、今そういったことに向いています。

”Re Us
 再び私たちに…”
津波を受けた気仙沼の塀に、そう書かれた文字を見つけました。

地震と津波でぐちゃぐちゃになった荒れた土地にも、
雑草が芽吹き始めています。
次に進む時がやってきたんじゃないかな?

ここは石巻で元々セブンイレブンがあった場所です。
10代の2人の若い女性と店長が、いまだ行方不明です。
「他人のぶんまで生きる」、
生かされた私たちがやるべき事はたくさんあり過ぎて、
嫌になってしまいそうになる日も正直あります。
だけど、目をそらさない。諦めずに食い下がる。
強さがほしいです。

私が、今回見つけた一番の”課題”はこれです。
やっぱり今もまだ、原発30キロ圏内の被災地には取り残された命がいます。
人は、なぜ命を敬わないのかな?

計画避難が終わった地域には、今までなかったこんな新たな看板が立ち始めました。
驚きです。

世界一周の夢が少し押し押しになってしまっているけれど
来週くらいから生活を立て直しながら、また動いていこうと思っています。
ボランティアもまだ終われないので、続けていくつもりです。
さあて、がんばりましょうかね。

震災後100日の石巻の現状

おとといまで、
石巻・気仙沼・南三陸町・飯館村に人を案内するため行ってきました。
震災後100日が過ぎた今も、被災地はこの現状です。
これでもキレイになりました。

だけども、ガレキの中 
生きることを決心し 見えない明日へ歩みだしている住民の方たちの横顔は
キラキラ輝いているように私の目には映り、
不思議に 自分にある力を尽くしたい念にかられました。 

私は、どう生きようか?
何を優先して動こうか?
まだ私に出来る事があるんじゃないか?

復興までは、まだまだ遠い。そんな気がします。

写真展示●東日本震災~原発近くのペット達

しばらくぶりのブログアップです。
すっかりサボり癖がついてしまった今日この頃。
一途に一つ事、継続は力なり…少しずつでも、たった一言でもアップしないと!
と反省しています…。

ところで、昨日から
被災地で撮りためた写真の展示を
NPO犬猫みなしご救援隊譲渡センター内2階パネル展示コーナーではじめました。
広島にお住まいの方、是非寄られてみてください。
今のところ、展示期限は設けていません。
●場所●
広島県広島市安佐北区可部1-1-17
JR可部駅下車・北100m
AM11:00~PM5:00
休館日:毎水曜日
HP:http://www.minashigo.jp/index.html

今回写真の展示にあたって写真整理をし、色んなことを思い出し振り返りました。
はじめて被災地に入った日、悲惨たる風景を目の前に写真を撮っていいのか悩んだこと。
だけど、苦しみ悲しむ被災した方々を前に、自分が写真を撮る理由をみつけたこと。
はじめて原発近くの動物に出会った日、人がすぐさま逃げなければならないほど危険な区域に
なぜ、首輪をつけたガリ痩せの犬がフラフラ道を歩いているのか…大きなショックを受けたこと。
気になって色々調べていく内、行政が「汚染された動物」と考えて何も活動していないという
命に対してあまりにも無情な扱いをしていた、わたしが日本一周をして大好きになった日本の国のこと。
原発近くに取り残されたペットの保護活動に自分の身を投じた結果受けた、
まわりからの「動物なんか…」という意見・反感。
そして、そこから感じた他人の動物愛護観と動物を”可愛い”という人の偽善・軽率さ。
保護活動をして出会った、飼い主の気持・悲しみ・被災した苦しみ。
時には、動物の命を軽んじる飼い主にも出会い 複雑な気持になったこと。
去勢・避妊をしていなかったペット達が放浪したことで、
震災3ヵ月後のいまたくさんの子犬・子猫が生まれていること。

人はどうして、
口も利けない 人の勝手で飼ってきたペットに対して、 こんなにも無情なのだろうか…?
原発近くに取り残されたペット達の保護活動をして、
悲しいくらい、そう私の心に響きました。

最初、東日本大震災のボランティアに乗りだした頃
私は 人の支援をするつもりで出発をしました。
だけど、行動していく道すがら 色んなものを見て感じ想うことがあり、
途中からは動物の保護活動に全力をそそぐようになりました
全然まだまだだけれど 色んな風を受け経験をした結果、
今まであまり真剣に考えたことのなかった動物愛護に対する私なりの理念が構築されだし始めました。
だけど、まだ私には動物にとって何が正しいのか・何を一番優先するべきなのか、考えがまとまっていません。
だから、これから動物に対する勉強をし色んな考え方を知り見識を広くもてるよう
自分の時間を費やしていこうかな、と考えています。

このまま進めば、もしかすると、
「遙の原チャリ世界一周~配達の旅+動物愛護の旅」になるかもしれません!笑