旅の紹介&プロフィール



Author:遙♪(はるか)

"強くなりたい"と思い、
2008年8月~
旅をスタート!
50ccなので、
高速道路はNG(°°;))
下道とフェリーだけで
のんびり進めます♪

遠く離れてしまった
友達や親、昔の恩師…
★★大切な誰かへ★★
伝えたいメッセージの詰まった
"手紙や贈り物"をお預かりして、
日本各地に届けながら
旅を進めています(*^^*)

2008年12月に
看病をするため
一時旅の中断を決心。
2009年4月に再開し、
貯金が尽きてからは
手作りのミサンガを
路上販売しながら決行!

現在旅のまっ最中です!



◆連載
月刊オートバイ
(毎月1日発売)


エトセトラ

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きょう東京FM出演しますー

あした、というか、今日、
7月11日(月)
東京FM(80.0)の「クロノス」に出演します。
時間は、
全国ネットが8時頃~。
東京地区のみの放送が8時20分頃~。
2回にわけて、被災地と被災ペットについてお話します。

4月の出演以来、2度目の登場です。
良かったら、聞いてくださいね。

東日本震災被災ペットトークイベント&写真展開催in東広島

7月9~10日、きのう今日の2日間、
大和ハウスの野外チャリティーイベントで
被災地&被災ペットのトークショーとブースで写真展示をしてきました。
場所は、東広島。
エライ遠くまでやってきたもんだー。

思ったままガムシャラに、ただただシャッターをきってきた写真がこんな風になるなんてね。
風に吹かれ、感じるままに進んでみたら、今日ここに流れつきました。
人生とは不思議なもので、如何様にも変化する…、希望と未来に満ちあふれてるものだなぁ、
なーんて気温32度の炎天下の青空のした頭から湯気を出しながら思いました。

トークショーは、写真をつかいながらMCの方とお話しました。
東広島は、被災地からかなり離れているせいか、
「どこか遠くで起こっている出来事」という感覚を多くの方がもたれているように感じました。
いつも、原発から離れれば離れるほど”現実”が伝わりにくく、
間違った認識が多いように感じます。
震災から4ヶ月がたち、
多くの人は自分の2本の足で立ち上がり、前に進もうとしています。
外部から「可哀想」と言われるほうが可哀想だ、と最近の私は感じます。

写真展示をしていたブースには、
里親探し中の子猫や 様々な理由で飼えなくなった犬猫たちのふれあいコーナーも
作ってありました。

…ん?
ふれあいコーナーに奇妙な来訪者が!!

あぁぁぁ!
ご当地ヒーローのメープルカイザーだぁ!
安芸戦士・メープルカイザーは、
なんと私のトークショーの前のイベントでヒーローショーをやりに来ていました。
どうやら、大の動物好きです。
里親募集をしていたチワワをもらっていってくれました。
さすが、広島のヒーロー!!
慈愛と助け合いの心にあふれた人でした。

頭にある赤いのは、
広島の県花・もみじです。
腕にも、ベルトにももみじがついてます。
とっても、暑そうでした…。


隣のイベントブースでやっていた竹割りをして、中にかき氷を詰めてもらいました。
2日間で4個食しちゃった。
どうやら痩せる気無いようです。
“被災地へ愛をこめて…”と竹に書き込み、ブースの受付に置きました。

暑くって、何度も正気を失いそうになったけど
やってよかったです。
充実した2日間でした。

しるこサンドを持って姫路へ

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はいさい!
この頃は、関西、中国地方、九州と西日本をあちこちしています。
動物愛護を学ぶ機会があちこちであったからです。

知人が名古屋〜関西まで車で行くと聞きつけて、ソッコー名古屋に普通電車を乗り継ぎながら行って相乗りで車に飛び乗ってから早一週間。

見慣れないハイウェイをキョロキョロ物珍しげにみながら姫路で下ろしてもらい、久しぶりに旅で出会った大家族、橋本家に立ちよりました。

お土産は、名古屋市内のコンビニで買ったご当地お菓子の“しるこサンド”。
なんかビスケットみたいだね、とお嫁さんと喋りながら大家族と夜を過ごしました。
おじいちゃんも相変わらず食欲モリモリ元気印で、新しく買ったマイクを通してハーモニカを聞かせてくれました。
いつ聞いても、心地よい懐かしい音色です。

最近も、ハーモニカを持って老人ホームや子供達への慰問に行っているようで、レパートリーが増えていました。

「遙ちゃん、東北震災に遭って生きる目標を失った高齢者をこのハーモニカで励ましたいんだ」
と言われました。
若年層が被災地の高齢者を励まそうとしてもなかなか通じないと私は前々から感じていたので、高齢者を励ます高齢者…なんて素敵だなと思いつつも、
姫路から東北へはかなり長時間の長旅になるので、数え年で91才になるお爺ちゃんの体への負担が心配だなと思いました。
すると、お爺ちゃんは笑って
「お爺ちゃんは、まだまだイケるでぇ〜」
と!

91才にもなるお爺ちゃんに“まだまだイケる”なんて言われたら、まだ二十代の私が出来ない…なんて言う訳にはいきません。

毎日が少し単調になってきた今日この頃、勇気をわけてもらいました。
年はとっても、へこたれるな。強い心を持って前に進むべし。
私も、まだまだイケますかね。笑

とにかく、お爺ちゃんの熱い願いを何かの形で叶えてあげれるよう、知人ボランティアをあたってみようと思います。

わお、東京

3日ほど前から風邪をひいちゃいました。
鼻水出過ぎで頭がガンガン痛く、
喉はうがいをするとうがい薬がしみて七転八倒する位腫れてました。
でも大したことありません、日常生活ならば。

福島原発近くの子犬がやはり気になって保護活動をしたかったのですが、なかなか治らずこの体調じゃまわりに心配されるばかり…。

仕方ない!一度東京に帰るか!
と寝床を与えてもらっていた懇意にしている那須の保護活動家さんのお宅を出発したのが、昨晩22時。

雨ざらしで濡れたままのバイクウェアを羽織ると、背筋がゾクッ。
雨は降ってるし、風邪で鼻水はズルズルあちこち痛いし、ウェアは濡れたままだし、トラックばんばんの国道沿いだし、まれにみるバッドコンディション。
風が吹いてないだけマシかぁ…
途中からはもうどうにでもなってしまえ〜と風邪をひきこなす勢いで雨の中ひたすら走りました。

家についたのは、早朝3時30分。
だけど、不思議に
たっぷり寝て起きたら風邪がケロッと良くなりだしています。
私の体はなんて気まぐれなのかしら?
新たな次の見つけた目標へ早く進めと指標を示しているのかな。

最近の私は、
泣いたり
笑ったり
喜んだり
困ったり
悲しんだり、

何もかも持ってるものはないけれど
退屈な日々を抜け出し
咲いてる日々を過ごしています。

過ぎてく時が勿体なくて愛おしい。
どんな所へもどこまでも行けそうな気さえします。

改めて、被災地報告

先日アップしきれなかった、石巻・気仙沼・南三陸町・飯舘村周辺の写真を紹介します。

2011年6月19日、震災後3ヶ月以上がたちました。
私にとっては見慣れてしまいつつある津波に飲み込まれた町の風景も、
初めて目にする人には愕然とし言葉を失う情景なんだな、と案内をしていて感じました。
誰もが、自分の目でみると思考が止まらなくなる。
私も、かつてそうでした。

ニュースやTVでよく取り上げられている、南三陸町の「防災対策庁舎」。
津波に流される最期のその時まで、防災無線で住民に避難を呼びかけ続けたという
25歳の女性がいらした場所です。
同じ女性として、同じ時代を育ってきた者として、その行動に敬意の念でいっぱいです。
報道等で有名なせいか、ここの前にだけ献花台が設置され花で埋め尽くされていました。

この「防災対策庁舎」の敷地内にここに立っていたのであろう、なぎ倒された看板を見つけました。
「チリ地震津波水位 2.4メートル。地震があったら津波に用心 避難場所は…」
唖然としました。人は忘れる生き物なんだと、愚かさを投げつけられたようでした。
昭和35年5月24日、遙か遠くの国チリの地震で起こった津波はこの町を襲いました。
それから50年あまり、この看板をつくった人はどんな気持でこれを作ったんだろうか…。

震災後3ヶ月。
震災ブームは終わり、人は生活に戻り安定を取り戻しはじめています。
そして、悲惨だったね、可哀相だったね、と語り継ぐだけの一過性のもので終わってしまった様に感じています。
経験し、じゃあこれから何をしていけばいいのか?
私の目は、今そういったことに向いています。

”Re Us
 再び私たちに…”
津波を受けた気仙沼の塀に、そう書かれた文字を見つけました。

地震と津波でぐちゃぐちゃになった荒れた土地にも、
雑草が芽吹き始めています。
次に進む時がやってきたんじゃないかな?

ここは石巻で元々セブンイレブンがあった場所です。
10代の2人の若い女性と店長が、いまだ行方不明です。
「他人のぶんまで生きる」、
生かされた私たちがやるべき事はたくさんあり過ぎて、
嫌になってしまいそうになる日も正直あります。
だけど、目をそらさない。諦めずに食い下がる。
強さがほしいです。

私が、今回見つけた一番の”課題”はこれです。
やっぱり今もまだ、原発30キロ圏内の被災地には取り残された命がいます。
人は、なぜ命を敬わないのかな?

計画避難が終わった地域には、今までなかったこんな新たな看板が立ち始めました。
驚きです。

世界一周の夢が少し押し押しになってしまっているけれど
来週くらいから生活を立て直しながら、また動いていこうと思っています。
ボランティアもまだ終われないので、続けていくつもりです。
さあて、がんばりましょうかね。